—2011年の総括。


「転機」だった。
めまぐるしく価値観の変化が起こった年。何度も変化しただけでなく、時を経るごとに変化のスピードも早まった。それに伴って失った物や価値観もたくさんある。楽しい事も辛い事も経験した。友達が減ったり増えたり。その度に、何が悪かったのかとか、自分の何が良い所なのかとかを考えた。俺はツマラナイ人間なのかも知れないなぁとも思った。

日本にとって良い年だったとは言いがたい。東日本大震災とは一体なんだったのだ。我々の心に何を残している?常に心の中はざわざわしていて、内省に次ぐ内省で神経がすり減っていたような気もする。生命の危機に直面して分かったことは善悪の判断基準は脆い砂の城だったこと。何が良くて、何が悪いのか、というのはそもそも必要あるのだろうか?

人は何かを成す時、必ず障壁にぶちあたる。
ぶちあたった時に、乗り越える方法論や精神論は語り尽くされている。そして、その論の結論は「それでも結局やるしかない」のだという事。壁にぶち当たろうとあきらめずに何度も挑戦する事。物事を前向きに捉えて、放棄しない事。本当にその通りだと思う。ただ、ひとつ僕が思っていることがある。何度もぶちあたるその壁は、自分自身の弱点であってはならない。正確に言うならば、絶対に「壁にぶち当たりに走っている自分にブレーキをかけるな」

何かを達成したいと思うならば、自分の短所を理由に怖じ気づくなんてもってのほかだ。自分は社交的じゃないから、こんなことは到底できない・・・?冗談を言う事が下手だから、周りを楽しませる事ができないし、人望がない・・・?そんなことを思うくらいならば、何か達成したいなんて本当は思っていないんじゃないか。・・・と、言われようと諦めないくらい熱い心があるのか?自分を変えることができない奴に、世の中なんて変えられない。当然だ。

だから、自分の短所が、自分の性格が、目標達成までの一番のネックになっているなんてのは、俯瞰してみれば「超ちっぽけ」なことだ。「自分が一番邪魔」を越えられた者だけが、やっとスタートラインに立っているものだと思っている。

これが、総括。自戒を込めて記す。
 
前置き an introduction: I've took part in one mysterious internship program. In that program, we solve the various riddles in unfamiliar place to get the treasure called Sun-kissed Hidden Treasure. As you may know, I also engaged in an IT venture as an long-term internship.

長期インターンしていたときの気持ちと、5人でナゾトキをしていたときの気持ちの違いが分かった気がする。
I dare say I got the difference between the feelings in a long-term intern and those in solving riddles in a group of 5.
5人でナゾトキをするのは、「自分と仲間の強みの認識と役割分担を瞬発的に行って行動」の繰り返しだった。とにかくそれ
Solving in a group of 5 was a fast repeat cycle of judging our own strength and acting with an instant role sharing. We
をひたすら繰り返し、数秒ずつトライアル&エラーをしていく。与えられた課題によって、仲間との関わりも状況も変化して
devoted ourselves to do that, then did trial and error by the second. Depends on the discipline, the situation changed. And
いく。時間が進むにつれてプライオリティが入れ替わり、判断と決断を迫られる。
we had to change our mind how it should be. We had to make decision in the fast-flowing order of priority .

5人という小さな単位でチームという円を構成しなくてはならない。「一人の範囲は大体このくらいかな」と、流動的に、し
 It is hard to form a "Circle" as a team by a small unit such as 5 people. You guess how far the range of commitment for each
かもほぼ直感的に円を構成する。5人だからこの明確なイメージが描けた。円が欠けていると、すぐに支障が生じてくる。因
person is. It is done by your intuition. Only 5 members, that's why I could describe the circle. If the circle is missing some
果関係がものすごく明快に感じ取れるのだ。それがすごく良かった。
parts of it, it causes something wrong. The circle definitely reflects a causal relationship. That's what I have wanted for long.

あの感覚は忘れられない。フラッシュ暗算のように、瞬時の判断とそのフィードバックが次々と行われる。圧倒的スピードで
I clearly remember that feeling. Sequential judgments and feedback are done in flash. The chain polishes our decisiveness.
判断力が磨かれていった(磨かれて、今輝いているかは定かでないが)。私は、従業員が200名程度の会社の中にいたとき、あの円がイ
(I don't certain whether it is shining or not.) Anyway, let me talk about my working in a company with 200 employees. At that
メージできなかった。全くと言っていいほど、全体像が把握できなかった。自分の処理能力と把握能力を大きく超えていたか
time, I could not figure the circle that I mentioned. Completely not. It was far beyond my ability and capacity. I could not
らだ。円の輪郭に焦点を合わせられず、線はぼやけていて、誰がどこを担当しているのか知らなかった。自分には分不相応な
bring into focus on the outline. Further, I don't recognize who is in charge of what.  Worse, I couldn't identify my own position.
環境だった。むしろ、自分の立ち位置でさえ明確にできない奴だった。大きなフィールドにでるのは、それなりの器を備えて
 I wasn't worth being there. But it was productive. Keenly felt that I need to have certain caliber as it should be to identify
からでないと自分の存在意義を打ち出せないのを痛感した。だから、その器になったらもう一度挑戦しようと思う。
myself in bigger field. So, I determined to challenge again but not go into there till I get the caliber.

結局、両方楽しかったし良い経験だった。ってわけなんだけれども、自分はまず小さくて底まで見通せる器からスタートする
For a number of reasons, both were absolutely fun and good experience at last. Those gave me one perspective that I
のだろうなと思った。内容物が大きくなるにつれ、器も変えていくことになるんだ。内容物を大きくするには、5人くらいで
suppose to start with small caliber whose depth is fathomable. When the contents get bigger, it is supposed that we change
円を一生懸命埋めるのが最適だと思った。そのうちに、自然と大きくなり、器とのバランスも取れてくる。そしたら次のス
the caliber. It is the most suitable way for making the contents bigger to fill up the circle with 5 desperate people. In the
テップ(器)だ。この仕組み、いつも必死になれるのが良いところ。
meantime, the caliber gets bigger to fit the vessel actually. Then go forward, and you can be desperate again. This is how it goes.
 
どのタイミングで「新しいこと」に挑戦して来ましたか。
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変化は年齢に関係なく必要だと思います。
私は、この先年老いても変化し続けていくことが目標です。
ですが、年を経るごとに新しい分野へ手を広げる事が億劫になる、そんな気がします。
頭ばかり良くなって、新しいことを純粋に楽しめなくなるのではないかと。

心のどこかで、ありもしないブレーキをかけてしまいがちなのです。
自分自身で可能性の線引きをして、それを他人に見せる形にする。そんな必要ありますか?

自分がやりたいことは、自分にしかできないことだと思ってやり込んでみる。
そうしてありのままの事実を観察して始めて、自分のものになるのでしょう。
他人の目にビクついて注意散漫な状態で何が「行動」でしょうか。
他人の目を気にしているうちは、他人から差し伸べられた結果しか得られないのではないですか。
他人が言う事が全てであっていいのですか。
自分の中に確固たる根拠を作りたいと、思っているハズです。

そうであるなら、年齢も立場も環境も忙しさも、関係ないことだと思います。
それらは他人が気にすることだからです。

変えようと思えば変えられる。
嘆こうと思えば嘆く事ができる。

何かできることを目の前にしながら、見えないふりをしていると気付いている。
自分ならこうできると思いながらも、ただ怠惰に過ごしている。
だれかに同情してもらいたい。だよねーって言ってもらいたい。

できないで終わらせられる。けど、
できる、にすることもできる。(と信じて。)

気持ちの持ち様で、いまから変われる。
だから、「タイミングはいつもいま」

自分を変えられるのは自分しかいない、そんな使命感があってもいいじゃないですか。
 
本日は Infinity Ventures Summit サマーワークショップというIT業界の経営者に話を伺うカンファレンスに顔を出してきました。慶応義塾大学の協生館をお借りしたこのイベントの登壇者は豪華絢爛。無駄遣いと言えるほど各分野の著名な会社の経営者が軒を連ねました。観衆は400名を越える様々な大学の学生。Ustreamでの中継も行われました。ハッシュタグは#IVSです。まとめ→http://togetter.com/li/176811
Infinity Ventures Summit (http://www.infinityventures.com/ivs)
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mikito tanimoto
今回、経営者のライブトークとプレゼンを立て続けに24人分(モデレーター含む)拝聴して感じた事はこうなります。

表面的な意見の相違はあるが、本質的にはほぼ全員が同じようなことを言っている。

もちろんこれは、”同じようなこと言ってたから無駄だった”ということではありません。むしろ、経営者という人種になんらかの共通項が見出せた事が最大の収穫でした。そして、彼らが言わんとするストーリーをぼんやりと妄想する事ができました。彼らの言葉のピースを繋ぎ合わせて私はこう解釈します。



    本当に自分のやりたい事、そのためにやるべき事はなんなのか?

    その達成のために、他人との摩擦を恐れて自分の情熱を消耗させるな。

    その達成のために、常に学べ。

    批評家になるな、未来を作る側になれ。

    情報消費者になるな、情報を作る側になれ。

    大きなビジョンを描け。

    信頼し合える仲間を作れ。

    結果にこだわれ。

    現時点で自分の置かれている心地よい環境に甘んじる事なく、新たに挑戦的な行動を起こせ。



これらの言葉の向こうに貫通しているものが一筋見えてくるような、そんな熱いメッセージ自らが持てるものを最大限駆使して、答えのない問いに挑んでいるという姿勢に、気迫の説得力があります。どの登壇者も「明確なゴールはないから、いまでも自分は道半ば。あたかも成功者のように扱われるのは違和感がある。けれども、人より色々経験したから、心得ているつもりだ。」という雰囲気をたたえていました。自信過剰ではなく、自信を持てる何かを得た結果、正当に主張しているということではないでしょうか。それができるのは”自分”というものに真剣に向き合っているから。だからこそ、他人に高い要求を突きつけられる存在でいられるのでしょう。その刺し違えるほどの真剣な関わり方が、カリスマ的な魅力の根源になっている気がします。そして、彼らがともに歩む仲間を選ぶ基準は「実力」ではないということ。実力がなくては話になりませんが、最終的には一人の人間として、深く意思疎通ができるかということに尽きるようです。付け焼き刃のおべっか使っているようでは、何も進歩することはないでしょう。

学生という視点を付け加えるならば、IVSのセッションが訓示したものは
[各論]
    「なんのために就職活動するのか考えてみろ。」
    「学生という枠にはまってるだろ、自覚しろ。危機意識を持て。」
    「自分の仕事のあり方を自分で切り開いて行け。」
[総論]
    「本質を見抜いて、考えに考え抜いて、自分で歩け」

と、私はそう感じました。枝葉末節はいらない、他人がどう考えているかは気にしない、自分で考え、自分で行動する。そういった意味で、本質以外のものを「今すぐやめて」しまえ、と。・・・ですが、そんなこと誰もができるわけではありません。誰しも彼ら経営者の言葉に熱くなり、自分もそうありたいと思いながらも、自分にうそぶいては言い訳がましく、いつも通りのぬるま湯に浸かります。

Be uncomfortable. "居心地の悪い環境であれ"

これに尽きると思います。環境が人を形作るのは間違いないと思っています。ですから、脳みそをフルに回転せざるを得ない状況を作る必要があります。安穏と情報消費者に甘んじる事なく、凍える外気にさらされても未開の地に踏み入れるべきだと、そう思います。その意味で自分も作る側であれ、「生業を起こせ」ということです。「起業しろ」というのは何も、「会社を起こせ」のように狭義に捉えて欲しくないと思います。自分が答えのないものに挑戦する事で初めて得られる視界を見ろ、という意味で書きました。自戒を込めて。だから、誰かに迎合する事なく、自分の存在を証明するビジネスに果敢に挑んでみろ!ということです。

その意味で、

いますぐやめて、起業しろ!




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